看護師への道と
「看護」を職業とし
確立させ貢献した人

世界の看護指導者について…白衣の天使への憧れ。看護師はハードだけど、やりがいのある仕事。

支えあって生きてゆく

看護師目指すなら…

看護教育の指導者として、世界で名を知られている人

ヴァージニア・ヘンダーソン

フローレンス・ナイチンゲールに次いで世界でその名を知られています。ヴァージニア・A・ヘンダーソン は1897年11月30日に ミズーリ州のカンザスシティに生まれました。父親はネイティブアメリカンの人たちのための弁護士として、母親はバージニア州から嫁入り、ヘンダーソンはバージニア州の学校に通っていました。第一次世界大戦で兄弟たちが従軍したため、自分も何かの役割をと、ワシントンDCのアメリカ陸軍看護学校(1918年開校)に学びます。その学校の校長が、学校の創立者で初代校長でもあり、またアメリカ看護の開拓期のアメリカ看護の The Great Trio の1人、アニー・ウォーバートン・グッドリッチでした。彼女が終生ヘンダーソンの師となる人との出会いでした。グッドリッチ自身もコロンビア大学、イェール大学の教授、学部長というキャリアを歩むことになり、ヘンダーソンは常に彼女の後を追って歩いていくことになります。

1921年に、同陸軍看護学校を卒業。ワシントンDCのヘンリーストリートのセツルメントの公衆衛生看護師、兼訪問看護師になります。その後、ノーフォークのノーフォーク・プロテスタント病院に就職、ヴァージニア州で初めてのフルタイムの看護技術指導者になりました。この間、州の看護協会でも積極的に活動し、地域の保険看護システムの立案にも関わります。精神科患者の地域での自立支援にも参与し、1929年ヴァージニア州のウィリアムズバーグにイースタン・ステート病院で出来た時には精神患者のためにそうした自立支援コースを立ち上げるための委員会に参加しています。その後、コロンビア大学ティーチャーズカレッジに学び、1932年卒業。彼女はコロンビア大学で1934年「看護教育」で修士号を取得している。のちにコロンビア大学看護学部の教員になる。1943年から1948年までコロンビア大学で教壇にたちました。

彼女の「看護とは何か」という定義、そして有名な「基本的看護ケアの14の構成要素」は、人間の基本的なニーズを包括的に網羅したものだと長く理解されてきました。今日では、ナンシー・ローパーらによって乗り越えられたとはいっても、看護学の教育の歴史に残る業績といえるでしょう。また彼女は、看護師の対人関係処理能力の向上と活用について深い知見を示すことになりました。看護過程の全ての構成要素に加え、知的技能、人間関係的技能、技術的技能を兼ね備えていることが必要と指摘しています。

ヘンダーソンは、1996年に98歳でコネチカット州のホスピスで亡くなりました。彼女の葬儀は、イェール大学看護学部の主催で大学葬として執り行われました。彼女はバージニア州ベッドフォード郡フォレストの聖ステファン教会の教会墓地の家族の墓のある一角に埋葬されています。

自宅で学習、生涯学習。

ヘンダーソンの定義

病気あるいは健康な人をケアするにあたっての看護師の独自の機能とは、彼らの健康状態に対する彼らの反応を査定し彼らがもし必要な力、意志あるいは知識を持っていれば手助けされなくても行えるであろう健康あるいは回復(あるいは尊厳死)に資するこれらの行為の遂行を援助すること、そして彼らができるだけ早期に部分的あるいは全面的な自立を得るような形でその援助を行うことである。

The unique function of the nurse is to assist the individual, sick or well, in the performance of those activities contributing to health or its recovery (or to peaceful death) that he would perform unaided if he had the necessary strength, will or knowledge.

ヴァージニア・ヘンダーソンの看護論

看護の定義として

長い間の思考と実践の期間を経て、ヘンダーソンは総合保健医療における看護の機能を抽出しました。

この定義は「看護とは第一義的に、人々が(病気であれ、健康であれ)自分の健康あるいは健康の回復(あるいは平和な死)のための各種の行動、それらはもしもその人々が必要なだけの体力、意志力あるいは知識をもっていれば援助なしにすることができるであろう様な行動なのであるが、それらを遂行するのを助けることである。加えて、人々が出来るだけ早い時期にそのような援助に依存しないですむようになるのを助けるのも看護独自の寄与である。」というものを定義としています。

つまりこの定義は看護として、独自の機能について述べたものであります。

14の基本的ニード(日常生活行動)

「看護の基本となるもの」に14の日常生活行動を挙げてました。そして、それら一つ一つについて、どのような側面が看護婦の援助を必要とするかをヘンダーソンは分析しています。

14の基本的ニード

  •  1正常に呼吸する
  •  2適切に飲食する
  •  3身体の老廃物を排泄する
  •  4移動する、好ましい肢位を保持する
  •  5眠る、休息する
  •  6適当な衣類を選び、着たり脱いだりする
  •  7衣類の調節と環境の調整により、体温を正常範囲に保持する
  •  8身体を清潔に保ち、身だしなみを整え、皮膚を保護する
  •  9環境の危険因子を避け、また、他者を傷害しない
  •  10他者とのコミュニケーションを持ち、情動、ニード、恐怖、意見などを表出する
  •  11自分の信仰に従って礼拝する
  •  12達成感のあるような形で仕事をする
  •  13遊び、あるいはさまざまな種類のレクリエーションに参加する
  •  14「正常」発達および健康を導くような学習、発見をする。あるいは好奇心を満足させる

これら14の基本的ニードは基本的欲求に基づいている、1人1人誰にもでも共通するものです。一見したところこれらの遂行を助ける仕事は昔ながらの身の回りの世話と同じように思えます。しかし、患者各人の欲求を一時的に見積もって、各人の体力、意志力、知力不足を査定して援助する仕事、そしてさらにセルフケアへと促す仕事は、計り知れないほどの生物化学的、心理学的、社会科学的な知識と技術を要するといえるでしょう。

この基本的なニードに対する援助は、医師の治療と並ぶべきケアとしての援助でもあり、科学的理論的医療の時代といっても、治療だけでケアがなければ患者は基本的なニードを満たすことが出来きません。ケアがなければ、患者の生活の流れは断たれることになり、独立性が阻まれることにつながります。さらに追加するならば、ケアは治療にとっても欠くことが出来ないものといえます。

医療行為において看護婦が医師の指示に従うということは、医師の指示を患者が実行するに当たって、患者の体力、意志力、知識が不足している部分を看護婦が補うことでもあります。つまりそれは、看護婦が患者を援助する人間関係をもとにして、患者が医師の指示を行うことでもあります。

このようにしてヘンダーソンは、他のどの職種よりも看護婦が患者へ対して果たすことの出来る看護独自の機能を定義したものです。現代の総合保健医療のシステムの中で患者が幸せに健康の回復、保持、増進を図るためには、看護婦としての役割は、なくてはならない存在になっています。高度に分担の進んだ科学的理論的医療の時代であるからこそ、看護婦は患者のベッドの側を離れてはいけないのです。

つまり、ヘンダーソンは「看護婦は何をするのか」ということ、つまり看護婦の機能を定義することによって看護婦たちを臨床に回帰させたといえるでしょう。

欠けたるところの担い手について

ヘンダーソンは、その人(患者)に体力、意志力あるいは知識が不足しているために、日常の生活体として、また医師による治療を受けていく上で援助を要する、その援助が看護である、ということを『看護婦は欠けたるところの「担い手」』であると表現しています。

ヘンダーソンの師である、グッドリッチは「一つの創造としての力ある看護の出来る看護婦は、そもそもの出発点に苦しんでいる人を助けずにはいられない「感情」を持ち、それを持ち続けながら技術の熟練をそのうえにさらに積み重ねていき、感情である情緒と技術の二重になった上で創造的な看護を育てる」と言っていますが、ヘンダーソンの言う「欠けたるところの担い手」になるということは、まさにこの「感情」と「情緒」が生きていてこそ具体的に示されるべき看護といえます。

また看護が「欠けたるところの担い手」になるのは個人に対してだけではありません。役割分担の進んだ科学的理論的保健医療の場で、いつも各分担者が自分の役割を完全に果たせるとは限りません。不在の時もあるでしょうし、分担のはっきりしない仕事も出てくると思います。しかし、看護婦はその独自の機能を果たすがゆえに常時患者のもっとも身近にいる存在でもあるので、このようなときのギャップを埋める働きをしなければなりません。

身近にいるものとして、看護婦は患者の代弁者となり、そして他のチーム員と患者とのつながりを補強すること。そして、各チーム員が分担した役割を果たしやすいようにチーム員相互間の協調を図るということは、看護婦のチームのなかでの「欠けたるところの担い手」としての存在でもあります。

看護婦は独自の機能が明確であるであれば、「何でも屋」的な融通性を発揮することが必要となり、現代の科学的理論的保健医療の場もその融通性を求めているといえるでしょう。

患者の一番近くにいる存在としての「看護師」としての役割を明確にしたことは、看護学としての看護師の果たすべき役割を説明しています。そして、フローレンス・ナイチンゲールの次に看護学として有名なのも納得できると思います。ただ単に身の回りを世話する役目だけではなく、患者の心に寄り添い、医療知識のない患者に医者からの医療用語を詳しく噛み砕いて説明してくれて、なおかつ心の支え拠り所になってくれる看護師の存在は、私たちには嬉しく頼もしい存在です。

今では、清潔な病院・病棟は当たり前のこととして、私たちは思っています。そして、入院中ナースコールを押せば、看護師さんはすぐに来てくれる。そんな当たり前だと思っていたことは、昔は当たり前ではなく、劣悪環境の中で患者は感染症に倒れていった時代があり、そんな環境から「医療現場で看護の役割」を定義づけ、また病棟の設備・ベッドの配置などにも着目して、環境を変えていってくれた。フローレンス・ナイチンゲールやヴァージニア・ヘンダーソンの果たした役割は、看護の世界に大きな変革を変化をもたらしてくれました。私たちが享受している看護師さんからのサービスも彼女たちの活躍があってこそと、改めて尊敬と感謝の念を新たにするのではないでしょうか。

ヴァージニア・ヘンダーソン 著作「看護の基本となるもの」より名言

  • 看護師にできるのはただ、看護師自身が考えている意味ではなく、看護を受けるその人にとっての意味における健康、その人にとっての意味における病気からの回復、その人にとっての意味におけるよき死、に資するようにその人が行動するのを助けることである。
  • 看護師が行う基本的ケアは、患者自身が身体的に病気であろうと精神的に病気であろうと同じである。感情の動きは身体に影響を及ぼし、また身体的な変化は心の状態に影響するから、実際には両者は切り離せない。
  • 看護師独自の機能は、病人であれ健康人であれ各人が、健康あるいは健康の回復(あるいは平和な死)に資するような行動をするのを援助することである。その人が必要なだけの体力と意志力と知識とをもっていれば、これらの行動は他者の援助を得なくても可能であろう。この援助は、その人ができるだけ早く自立できるようにしむけるやり方で行う。
  • ケアの変容というこのことは、看護をひとつの芸術にする創造的要素である。
  • 自らを知ることは他者を知ることの土台であり、自尊の念は他者を敬うことの基本であることは、過去においてもそうであったように、今も事実であり、おそらく未来においてもそうであろう。
  • 特定の個人が必要とする看護は、その人の年齢、文化的背景、情緒のバランス、また身体的、知的な能力によって、とりわけ大きく左右される。看護師の援助を必要とする患者の欲求を判断するにあたり、看護師はこれらのすべてを考慮に入れなければならない。
  • 何か具体的なサービスができるならば、他者の精神的な支えとなる役割をとるのは誰にとっても比較的容易である。看護師と患者とのあいだの身体的接触の価値は、とくにその行為の効果が気持ちのよいものであるなら、みくびるべきではない。

ヘンダーソンの主要な著書

  • 1961年『看護の基本となるもの』日本看護協会出版会 
  • 1967年『看護論 : 定義およびその業務,研究,教育との関連』日本看護協会出版会 
  • 2007年『看護論―25年後の追記を添えて』日本看護協会出版会
  • エドワード.J.ハロラン編『ヴァージニア・ヘンダーソン選集―看護に優れるとは』医学書院 
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2013 看護師への道と「看護」を職業とし確立させ貢献した人.jp